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最高裁判所第三小法廷 昭和50年(行ツ)112号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人真子傳次、同出射義夫、同梶原正雄、同久保田敏夫の上告理由第一点について

(一)  私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「法」という。)四八条は、公正取引委員会は、法の規定に違反する行為(以下「違反行為」という。)があると認める場合において、審判手続を開始するに先立ち、まず当該違反行為をしている者に対して右違反行為を排除するために適当な措置(以下「排除措置」という。)を採るべきことを勧告し、その者がこれを応諾したときは、審判手続を経ないで、勧告と同趣旨の排除措置を命ずる審決(以下「勧告審決」という。)をすることができるものとしている。本来、排除措置は、審判手続を経たのち、公正取引委員会が右の手続において取り調べた証拠に基づいて違反行為があると認めた場合にされる審決(以下「審判審決」という。)によつて命じなければならないのである(法五四条一項)が、審判開始決定ののち、被審人が、審判開始決定書記載の事実及び法律の適用を認めて、公正取引委員会に対し、その後の審判手続を経ないで審決を受ける旨を文書をもつて申し出て、かつ、当該違反行為を排除するため自ら採るべき具体的措置に関する計画書を提出した場合において、公正取引委員会が適当と認めたときは、その後の審判手続を経ないでされる審決(以下「同意審決」という。)によることもできることとされている(法五三条の三)。これに対し、勧告審決の制度は、法の目的を簡易迅速に実現するため、違反行為をした者がその意思によつて勧告どおりの排除措置をとることを応諾した場合には、あえて公正取引委員会が審判を開始し審判手続を経て違反行為の存在を認定する必要はないものとし、ただ、その応諾の履行を応諾者の自主的な履行にゆだねることなく審決がされた場合と同一の法的強制力によつて確保するために、直ちに審決の形式をもつて排除措置を命ずることとしたものと解される。すなわち、正規の審判手続を経てされる審判審決が公正取引委員会の証拠による違反行為の存在の認定を要件とし、また、同意審決が違反行為の存在についての被審人の自認を要件としているのに対し、勧告審決は、その名宛人の自由な意思に基づく勧告応諾の意思表示を専らその要件としているのである(最高裁昭和四六年(行ツ)第六六号同五〇年一一月二八日第三小法廷判決・民集二九巻一〇号一五九二頁参照)。もつとも、勧告審決も審決であるから、法五七条の適用があるというべきであり、審決書には公正取引委員会の認定した事実を示さなければならないが、そこに示すべき事実とは、勧告に際し公正取引委員会が認めた事実(法四八条一項)、すなわち勧告書に記載された事実(公正取引委員会の審査及び審判に関する規則二〇条一項一号)を意味するものと解するのが、相当である。けだし、勧告審決をする段階においては公正取引委員会はもはや事実の認定を行うものではなく、勧告審決書に事実を示す趣旨は、前述の勧告審決の性質にかんがみ、排除措置との関係において排除されるべき違反行為を明確にするとともに審決の一事不再理の効力との関係において事実を特定するためのものであるにすぎない、と解すべきであるからである。

(二) 右のように、勧告審決にあつては、公正取引委員会による違反行為の存在の認定は、その要件ではないのであるから、違反行為の存否は勧告審決の適否につきなんら影響を及ぼすものではなく(仮に、勧告に際し公正取引委員会が認めた事実に誤りがあり、ひいて勧告に瑕疵があるといいうる場合であつても、勧告の応諾により公正取引委員会が事実を認定する必要がなくなつた以上、それは勧告審決自体の違法事由となることはないと解するのが、相当である。)、したがつて、違反行為の不存在は勧告審決を取り消すべき原因とはならないし、他面、勧告審決は違反行為の存在を確定するものでもないというべきである。

(三)  また、法八〇条、八一条、八二条一号のいわゆる実質的証拠の原則に関する規定は、公正取引委員会が審判手続を経て証拠により事実を認定する場合、すなわち審判審決の場合に限つてその適用があり、審判手続を前提としない勧告審決の場合にその適用のないことは、右規定の趣旨に照らし明らかなところである。

(四)  そうすると、違反行為の不存在は勧告審決の取消事由とならず、勧告審決につきいわゆる実質的証拠の原則に基づく規定の適用はないとした原審の判断は、結局、正当である。また、審決取消訴訟について、公正取引委員会の認定した事実が裁判所を拘束するのは、審決に際し公正取引委員会によつて認定された事実についてこれを立証する実質的証拠のある場合に限られるから(法八〇条)、審決に際し公正取引委員会による事実の認定を要件とせず、しかも実質的証拠の原則の規定の適用のない勧告審決が違反行為の存在につき裁判所を拘束することは、ありえないものといわなければならない。更に、法八〇条一項のような規定を欠く法二六条の無過失損害賠償請求訴訟については、審判審決において公正取引委員会が認定した事実であつても裁判所を拘束するものと解することはできないのであるから、違反行為の認定を要件としない勧告審決が違反行為の存在につき裁判所を拘束するものとは、とうてい考えられないのである(もつとも、右訴訟において、違反行為に対する排除措置を命ずる審決があつたことが立証された場合において、審決の成立過程の特質、すなわち、審判審決にあつては公正取引委員会の証拠による違反行為の存在の認定を、同意審決にあつては被審人の違反行為の存在の自認を、勧告審決にあつては違反行為の排除措置をとることの応諾を、要件とするものであることに応じて、強弱の差はあるとしても、違反行為の存在につきいわゆる事実上の推定が働くことを否定することはできないが、それは裁判所に対する法律上の拘束とみるべきものではない。)。それ故、勧告審決が違反行為の存在の認定につき裁判所を拘束することを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠き、失当である。論旨は、採用することができない。

同第二点について

本件審決の主文は不特定でないとした原審の判断は、正当として是認することができ、右主文が不特定であることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠き、失当である。論旨は、採用することができない。

同第三点について

勧告の応諾は私人の行う公法行為であるが、勧告応諾の意思表示に要素の錯誤があるときは応諾は無効となり、それに基づいてされた勧告審決も違法になるものと解することができるとしても、本件において上告人が応諾をするに至つた事情として主張するところはいずれも応諾の意思表示の動機にすぎず、所論の事由をもつて上告人が右の動機を相手方たる被上告人に対し明示的又は黙示的に表示したものということはできないから、上告人の本件応諾の意思表示に要素の錯誤があるとは認められない。これと同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

同第四点について

所論は、原判決の法四八条の解釈の誤りをいうが、その実質は、ひつきよう、上告人の違反行為の不存在を理由として本件勧告審決の違法を主張するに帰するものであつて、それが許されないことは論旨第一点に対する判断において述べたとおりである。これと同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第五点について

法四八条所定の「適当な措置」とは、違反行為を排除するため必要な措置、すなわち法七条、八条の二、一七条の二、二〇条所定の措置を指すものと解するのが相当であり、原審が所論の主張を排斥する趣旨であることは、その判文に徴し明らかである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(天野武一 江里口清雄 高辻正己 服部高顕 環昌一)

上告代理人真子傳次、同出射義夫、同梶原正雄、同久保田敏夫の上告理由

第一点 原判決の、勧告審決については違反事実の存否等を争えないとする判断は、憲法三二条、七六条二項に違反している。

一、原判決は、要約すると、勧告審決なるものは「排除措置を被勧告人の自主的履行に委ねるのでなく、法的強制の対象とすることによりその実効性を確保しようとするものであつて、右審判を受けた者は、当該審決の名宛人としてこれにより自己の権利または利益を害されるべき地位にあり、その取消の訴を提起しうることは当然であつて、明文上もこれを別異に解さなければならないものではない」(二四丁)とし、その理由として「勧告を受諾することは、直接には勧告書の主文に掲記された排除措置をとることを認諾するもので、これに伴いその前提となる公正取引委員会が勧告書に記載して指摘する違反事実及び法令の適用についても敢えて争わない趣旨を表明するものではあるが、それ以上に審決取消訴訟を提起する権利までも放棄する意思を表示したものとは解しえないからである」(二四丁裏)と判示し、なお「従つて、応諾により勧告審決を受けた者は、当該審決の取消訴訟において、自ら争わないとした違反事実の存否及び排除措置の適否を争い、これをもつて審決取消の事由とすることは許されず、このような取消事由を主張するにとどまる場合は、請求は棄却されることになる」(二四丁裏、三〇丁裏(六)の部分)というにつきる。言い換えれば勧告審決を受けたものは私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下、独占禁止法という)七七条によつてその取消の訴を提起できるが、同法八二条の第一号の適用はないという判示である。

われわれは、同法七七条による訴訟については、同法八〇条以下の規定が適用されなければならないと確信する。原判決は、この点について「独占禁止法八二条一号は、審決の基礎となつた事実を立証する実質的証拠がない場合を審決取消事由の一としており、当該審決の種類について明文上特段の規定はしていないけれども、ここにいう審決は、公正取引委員会が、審判開始決定をし、審判手続を経て証拠により事実を認定し、法令を適用して、一定の排除措置を命ずる正式審決をいうものであることは、事の性質上おのずから明らかである」(三一丁)を説示している。而して、その根拠の一つとして「同法七八条は、審決に対する取消の訴の提起があつたときは、裁判所から公正取引委員会に対し当該事件の記録の送付を求めることを規定しているが、この事件記録は、裁判上証拠の有無ないし新しい証拠の要否が判断される場合に備えて、裁判上証拠となるべきものを指すのであつて、結局公正取引委員会が審判を開始したのちにする審判手続についての記録をいうものであるところ(当庁昭和四三年(行ケ)第一四八号、昭和四六年七月一七日判決行政事件裁判例集二二巻七号一〇二二頁参照)、本件については審判手続を経ていないのであるから、その意味において裁判所に送付すべき事件記録はなく、そのことは、勧告審決について実質的な証拠の有無が裁判所により判断されることがないことを前提として、はじめて理解されるところである」(三一丁裏から三二丁)というのである。

われわれは、独占禁止法七八条にいう当該事件の記録とは、正式審判のあつた場合の取消訴訟については、審判を開始したのちにする審判手続についての記録であろうが、勧告審決あるいは同意審決に対する取消訴訟の場合には、実質的な証拠となるもの、即ち公正取引委員会が審判手続外において違反事実の存在を認定するにあたつて用いた証拠によつて、実質的証拠の有無を判断すべきものと考える。そうでなければ、同法八〇条の認定事実の拘束力を認める「証拠の実質的判断」が全くなされないまま、公正取引委員会の認定した事実が裁判所を拘束することとなり、勧告審決については、憲法三二条及び七六条二項の保障は全く無視されることになるからである。

二、原判決の最大の誤りは、勧告審決に対する理解を欠いていることにある。勧告審決は、行政機関たる公正取引委員会の純然たる行政措置に対して、原判決のいうように、執行の便宜上法的強制力を付与するために審決と同一の効力を付与したものである。そして勧告に対する応諾は、同意審決の場合の同意(独占禁止法五三条の三)と異なり、「事実及び法律の適用」を認めたものではないのである。勧告は、「適当な措置」すなわち、違反事実の有無はともかくとして、公正取引委員会が違反行為があると認めて、現状の改善に適当なりと考える措置をとることを勧告するのである。勧告を受けたものとしては、正式審判で争いたいと思つても例えば、新聞紙の値上げのように同時期に同様の値上げはしたが、協定はしていない場合のように、外形的に見て協定ありと公正取引委員会が認めて改善措置を勧告するのであれば、改善には応じようとする場合が多々あるのである。

原判決が、応諾は勧告書に記載された違反事実及び法令の適用について敢えて争わない趣旨であると判示しているのは、社会的事実としてはそのように受け取られやすいが、法律的には半ばといえども肯認してはいないのである。若し左様な解釈が許されるなら、そして、勧告を応諾した故をもつて告発の挙に出るようであれば、勧告を応諾する者は激減し、公正取引委員会の機能は麻痺するにちがいないのである。

原判決は、正式審決の場合には実質的証拠の有無を理由とする訴が許されるが、勧告審決の場合はそれが許されないとするのである。正式審決はとにかく一応の準訴訟的手続を経た上でなされるのであるが、勧告審決は全く行政措置としての公正取引委員会の認定をもとにしてなされるので、訴訟的な手続は経ていない杜撰なものである。これだけは偏見なく認めなければならない。そうであれば、原判決は、訴訟的な手続を経た正式審決の場合には実質的証拠の有無を判断するが、杜撰な行政措置である勧告審決の場合には、勧告書に記載された事実が裁判所を拘束するということになる。全く逆の結論であるという外はない。独占禁止法八〇条の明文があるにも拘らず、勧告審決について終審を認める解釈をすることは、憲法七六条二項に違反するものである。

勧告審決の実質的証拠は、正式審判手続中の証拠ではあり得ないことは当然である。だから正式審判手続の際の事件記録について判断するのではなく、勧告の際、独占禁止法四八条にいう「第三条等の規定に違反する行為があると認める場合」に認定した資料が実質的な証拠であるか否かを判断すればよいのである。それは、必ずしも訴訟法の証拠能力の有無にとらわれず、実質的な証拠があるかないかを判断すれば足りるのである。昭和二八年八月二九日東京高裁判決、高裁民集六巻一一号六六七頁は「証拠は必ずしも当該事件の審判手続開始以後の記録中に見出されなければならないものと限定する理由はなく、審判開始前のものをも含めて当該事件に関する一切の記録中に存すれば足りる」としていることが参考になろう。〈以下、省略〉

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